商い人の戯言


※捏造過多。



 石畳の道は目で楽しむものだ。歩くものではない。
 この道には薔薇どころか、花の一つも見当たらなかった。まったく、薔薇の王国が聞いて呆れる。
 ところどころ角張った硬さが靴底から伝わるたび、サムの気は重くなっていった。メインストリートを抜け、露骨に街並みは様変わりしていく。外灯同士の間隔が広がり、呼応するように人通りも減る。灯りがないところに寄りつこうとしないのは、生物特有の本能なのだろう。もっとも、太陽の支配があろうとなかろうとこの道は「ほの暗い」のだ。
 喧噪を避けるように、あるいは喧噪に避けられるような場所――街の外れに彼女の店、否、「彼女のいる場所」はある。一口に「店」と言っていいものか、未だに判然としないが、室内に置かれた物たちに価格がつけられているあたりは「店」と言えた。だが、商売を生業とするサムにしてみれば、呼び名のない場所でしかなかった。店でもあり、工房でもあり、居住地でもある。拠点と言うには心許なく、城と呼ぶにはあまりにも他人行儀な空間だった。とどのつまり、「彼女のいる場所」以上でも、以下でもない。
 道の終わり、街の終わり。最後に佇む一本の外灯が、唯一の目印だった。訪れるたびに様相が異なる華やかなメインストリートと反し、いつもここは相変わらずだ。
 建物には名前もなく、かつては機能していただろう吊り下げ看板の残骸が残っているだけだった。ショーウィンドウに飾られている品に変化はあるが、顔の上半分を切り取られた胸元までしかないマネキンは変わりなく、そっぽを向いている。目を凝らしてようやく、マネキンの片耳にぶら下がる品が前回と違うものだとわかる。せっかくの大きなショーウィンドウも、長いことガラスが拭かれていなければ台無しだ。
 扉の前に立ち、改めてある物を探す。
 やはり、呼び鈴らしきものは見当たらない。素っ気ないにも程がある。入り口の窓から見える日焼けしたカーテンは閉めきられ、中の様子すら窺えない。
 古びたドアノブを握り、容赦なくサムは内開きの扉を開けた。刹那、耳元で鼓膜を貫くような甲高い音色が鳴り響く。どうにも耳障りなこの音を聞くと、いつか慣れられるという予感ごと失われてしまう。宙に浮いたモビールは螺旋状に球体を連ねている。音の正体は、この球体だ。ただのガラス玉かと思いきや、よくよく見ると中には小さなベルが仕込まれている。球体の数だけ、小さなベルが鳴り出せばけたたましくもなる。
 立地も悪く、店構えも不親切。ただ、室内のそこかしこに並ばれ、あるいは飾られたものたちは、それぞれが確かにこの場所の主役であると主張していた。後ろ手に扉を閉め、彼女の世界に足を踏み入れる。質素な丸テーブルにも、使い込まれたクローゼットにも、仕切りに使われている本が並ぶ本棚にも、至る所に煌めきが溢れている。なのに、お互いがお互いの邪魔をせず、煌めいていた。――相変わらず、奇妙な空間だ。
 商品のディスプレイに関してだけは、学ぶべきところが大いにある。一度、倣ってみようとはしたものの、品のない雑多な空間しか作り上げられなかった。これは彼女にしかできない芸当の一つなのだと悟った。
 とは言え、その日の気分で変わっている完成した品揃えにしろ、意味不明な価格設定にしろ、ここまで「売る気がない」を表に出されると、素直に賞賛する気分にもなれない。
 馬鹿になった片耳が元に戻る頃になってやっと、奥の部屋から慌ただしい物音が鼓膜を揺らした。
 きっちりと化粧を施された顔が飛び出し、「あー、サムさん!」と笑顔で出迎えられた。がっしりとしたペンチを握った手を振られ、サムはゆるりと片手を挙げて応えた。まずは、その物騒な物を置いてから、出迎えるべきだと伝える必要がある。記憶に誤りがなければ、もう何度目かもわからないほど、伝えた覚えがあるのだけれど。
「やあ、
「ごきげんよう、サムさん。さあ、どうぞ」
 ペンチを片手にサムを奥へと招き入れる。右腕と左腕、捲られ方の違う袖に苦笑する。今にも手首まで落ちそうな左腕の袖を引っ張り上げながら、「長居はしないよ」と歌うように口ずさむ。サムがそう言ったところで、は毎度のようにお気に入りのティーセットのお披露目も兼ねて、口当たりの良いお茶を用意する。「一杯ぐらい付き合ってよ」なんて、お決まりの文句を添えて。
 品物の並ぶ広間と、彼女の工房の間にある部屋へと通される。もともとは書斎だったのかもしれない。壁中に隙間なく本が敷き詰められた棚たちに囲まれ、一人分のデスクとチェアが中心に鎮座している。は迷いなく、オットマンへ腰かけた。「まあまあ、一杯ぐらい付き合ってよ」胸ポケットに挿したペンを抜き、杖へ換える。それを軽く一振り。すると、何も置かれていなかったデスクに、二人分のティーセットが現れた。
 想像した通りの出来事が目の前で起きる。サムの想像と異なっていたのは、白磁に青の装飾が映える、繊細な器たちの姿ぐらいだった。
「今日も素敵な器だね。どこのもの?」
「輝石の国に行ったとき、一目惚れして買ったの。高い衝動買いだったけど、いいでしょう?」
「俺の趣味ではないけど、良い買い物をしたね。紅茶がとても美味しそうに見える代物だ」
 ぽってりとしたポットが独りでに、紅い液体をティーカップへ注いでいく。湯気を立てたティーカップはソーサーと共に、サムの手元へと漂うように辿り着いた。
 誰も座らない革張りのイスを眺め、サムは本棚に背を預けた。「それで」
 ティーカップへ口をつけ、
「調子はどうだい?」
 わざとらしく口端を持ち上げて尋ねる。
「見ての通り。絶好調とスランプの繰り返しかな」
「なるほど。変わりがないようで何よりだよ」
 いつも通り、ということか。繁盛具合を尋ねたつもりだったが、は知ってか知らずか、作業の進捗具合しか答えようとしなかった。
「君のアクセサリーは評判が良いよ。ハンドメイドは思いのほか流行しているせいもあって、昔より随分もらい手が増えた」
「売る人の腕がいいからじゃない? いつもありがとう、サムさん」
「そう思ってくれるなら、もう少し多めに作ってほしいね」
「同じのいっぱい作ってると飽きちゃうんだよ」
 ティーカップだけを運び、は湯気を吹き飛ばしながらゆっくりと紅茶を飲む。
「特に最近は、だめね。前は素材やパーツを見ただけで、いくらでも思い浮かんだのに。最近はどうにも」
 肩を落として首を振る。
「マンネリというか、何というか。いざ仕上がってもね。気に入りはするんだけど、もっと良い形があったんじゃないかって」
「それは大変。作り手は悩みが尽きないね」
 軽やかにサムは笑う。妥協ができないのだろう。確かにそれは傑作に繋がる道ではあるが、繁盛に繋がる道とは言い難い。
 それでもの作り出すアクセサリーたちは、愛される。愛用者たちは口々に言う。「自身を奮い立たせてくれる」と。美しくありたい。強くありたい。楽しくありたい。のアクセサリーを身につける者たちの欲求は様々だが、総じて言えるのは「身につけることで力を貰える」というものだった。噂が噂を呼び、ある場所ではお守りと等しく扱われているところもあるらしい。――サムとしては、マージンを多く取れる分、こんなに喜ばしい商売もない。製作スピードについても今は、目を瞑れるほどに儲けさせてもらっているのだ。
「多かれ少なかれ、そういう悩みはどんなことでもあると思うよ」
「サムさんはしっかり、というよりちゃっかりしてるよねえ」
「お褒めに預かり光栄だ」
 片目を瞑り、へ微笑む。
「でも、君の調子があまり良くないのは、俺としても見過ごせないね」
 顎を摘まみ、「どうにかしてあげたいな」と呟く。
「何か、そうだね。モチーフアクセサリーなんて作ってみたらどう?」
「モチーフアクセサリー、例えば?」
 例えば、との問いを繰り返し、サムは首を傾げる。少し前の無責任な発言をしたことを悔いた。特に何か考えがあって、口にしたわけではなかった。品揃えに自信はあっても、アイデアのレパートリーなど分野外だ。
「そう、例えば、俺とか?」
「俺って、サムさん?」
 失言は一つで済まされない。大体、一度か二度、続けざまに嘯いてしまうものである。その例に漏れず、サムもやらかしてしまった。「今のはジョークで」と仕切り直そうとするものの、は「そっか」やら、「あー」やら、ぶつぶつとティーカップに向けてぶつぶつと喋り続けている。
「……、待って。本題に戻ろう」
 半分も減っていないティーカップとソーサーをデスクへ置きに行き、そのままオットマンへ腰かけるの許へ向かう
 継ぎ接ぎだらけのシルクハットを脱いで脇に抱えてから、サムは跪く。指先が汚れた小さな手からペンチを抜き取り、足下へ置いた。恭しく胸に片手を添え、「出張ミステリーショップにようこそ」と告げた。なんと苦しい話題の換え方だろう。己の失態に人知れず、顔をしかめながらサムは無理を通し続けることを決めた。
「それで、今回は何をお求めに?」
 シルクハットを被り、両手を広げる。
 じっとサムを見つめ、は「サムさんって」と空いた片手を伸ばす。何をするのかと思えば、サムの右手をむんずと掴んだ。
「やっぱり」
 ティーカップを持ったまま、
「意外と手、大きいよね。指かな。ああ、指が長いんだね。今みたいに手を広げたとき、すごく綺麗に見える」
 と、サムの右手を四方八方からまじまじと見渡していく。時には指一本だけを握ったり、時には血管を辿るように手袋の先へ繋がる手首まで撫でたり、と忙しなく動き始めた。
「盛り上がってるところ悪いけど」
「サムさん、コレだよ、コレ。湧いた。イメージ、湧くよコレ」
「……、俺の話も少しは」
「うん。モチーフいいね。いい、すごくいいよ」
 ことごとくサムの話を遮り、は目を輝かせて頬を緩める。「この感覚、久しぶり」と熱を込めて言った。
 空いた片手で額を押さえ、サムは唸る。「あー、ウン」
「君のやる気が盛り上がってくれて俺は願ったり叶ったりだ」
 適当で、無責任な発案だったにせよ、が絶好調へ転がったのは素晴らしいことだ。まさか自分自身がモチーフにされるとは思いも寄らなかったが、彼女の新しい作品を待ち望んでいる者は必ずいる。
 サムは頭を切り替えるように額から顎へ手を滑らせ、
「俺は君の協力者だからね。最後まで付き合うよ」
 そう言って、の手を仕返しとばかりに握り返した。
「電話で聞いていた注文は?」
「取り消し」
 ティーカップを宙で手放す。床へ落ちることなく、浮遊してデスクへと着地した。
「オーケー、何をお望み?」
「いつものやつ、熱砂の金70グラム。それからアートハランカルサイト4グラム。あと、カロライナの蜜液もあったらほしいな」
 が空いた片手で指折り数え、口にする。
「In Stock now.」
 待っていましたと言わんばかりに、悠々と口にする。サムもまた、ようやく本調子となった。どれだけ気が重くなろうと、辺鄙な場所にあろうと、商売のためなら何の苦にもなりはしない。自身の影の中からサムは次々に袋を取り出していく。
 ジャケットの内ポケットから伝票を取り出し、肩まで掲げる。ずるりとサムの影が蠢き、伝票に金額を記す。「お得意様だからね」と告げれば、一度書いた数字に線を引き、新たな数字を書き進めていった。相場よりやや低く見積もりを確認し、一枚引きちぎってへ渡す。
「支払いはいつも通り、一括払いで振り込んでおく」
「Thank you!」
 高らかに叫び、サムは伝票をポケットへしまった。
「仕上がりはいつぐらい?」
「一週間かな。それより早く仕上がるとは思うけど。完成したら連絡するよ」
「楽しみにしてる」
 サムは今にもにやけそうになる唇を引き結び、努めて冷静にの手を握り直した。取引を交わすときには、やはり握手に勝るものはない。自分よりも一回りも、二回りも小さな手は、あらゆる意味において驚くほど強い力を持っている。
 彼女の手にかかった自分が、果たしてどのような形となるのだろう。これまであった楽しみ以上に、連絡が楽しみになる日が来ようとは――思いも寄らなかった。
「それはそうと、一つ提案があるんだ」
 用は終わった。何の未練もなく、すっぱりと手を放す。先に指を動かしたのはの方だった。すでにまだ見ぬ作品で頭を埋め尽くされたせいか、オットマンから立ち上がり、重たい袋を持ち上げようとまでしていた。
「提案? 何の?」
「君の店を俺のショップで宣伝したい」
 残りの紅茶を飲み干し、サムは「ごちそうさま」と聞いてはいないだろうに伝えた。
「サムさんのショップって、ナイトレイブンの? あそこって男子校なのに、意味ある?」
「無駄にはならない、と思うよ」
 一人の存在がサムの脳裏によぎる。一人、ではなく、一人ともう一匹だ。「匹」という数え方で合っているのか。ある日突然、それら二つの存在がこの世界に現れた。それらによってもたらされた新しい風は未だ、吉とも凶ともつかずにいる。ただ、ありえなかったことを引き起こす予兆を内包しながらも、代わり映えのしなかった日常に変化を起こし始めていたのだ。
 逡巡した後、は「いいよ」と頷いた。
「宣伝費ナシならね。好きにして」
「Thank you!」
 もちろん、これはサービスの内。今はまだ、ゼロから数字は動かない。
 むろん、新しい作品の出来と売り上げ次第でゼロは変動する。彼女がいるこの場所で、日ごと起きていることと同じ。気分、状況で移り変わる。
 商売とは心と等しく、人との関わりで移ろいゆくものだからだ。
 もしも彼女によって仕上がった形を気に入ってしまえば、それは彼女にこそ、身につけてほしいものとなるだろう。世の愛好者たちとは違い、「ご利益」になど頼らずとも、求めるものは己の手で、手に入れる主義なのだから。
 サムは口笛を吹き、片手を挙げて別れを告げた。
「君の未来に幸運あれ」


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